インタヴュー/伊藤緋紗子

インタヴュー/伊藤緋紗子
 2009年4月21日感受性と観察力が外国で芸術と出会って花開いた吉田真悟
紹介文:伊藤緋紗子

今回、私は、吉田真悟という一人の芸術家を紹介したい。
彼は、今年34才。日本の大学(法律学部)を卒業した。その時は、未だ自分の将来の道が定まっていなかった。
というより、もっと何か吸収したかったのだと想う。それで、大学の友人とエジプトに旅に出た。友人は就職先が決まっていた。卒業旅行をすることで二人は別々の道に行く前に、人生の区切りをつけたかったのかもしれない。しかし、エジプトで考えもしない災難に会う。二人は、何者かに監禁され4日間も連れまわされた。そして、犯人のすきを狙って、逃走し、偶々通りかかった観光バスに乗せてもらい命拾いをする。助かった時の姿は、やせ細り、ひげがのびていたという。
その時、知ったこと、人は汚い格好をしているとコーラの値段も安くなるのだと。同じ人間なのに、姿、装いで世界も変わるのだと。
彼の人間探求、装飾をとり払った 真理の追究の旅はこの時から始まった。
その後、パリの知り合いの家に滞在していた時、パリ高等美術大学の学生たちの姿を見て美大に入ろうと志し、ヴェルサイユの市立の美大に見事合格、ここで一年学んだ後、今度は、ニースにある国立高等美術大学ヴィラアルソンに24才にして入学、その5年後首席で卒業、以後、リヨン国立美術大学院を経て、パリ国立高等美術大学院を2007年に卒業した。
真悟は、画家でも彫刻家でもない。 彼の素材は、地球上の あらゆる国のあらゆる人間。2003年ハンガリーのブダペストの美術館で、子どもたちが絵を描くとき画用紙だけでは小さすぎると考え、画用紙の絵の続きを美術館の床に描かせた。彼の行く所全てがアトリエと化す。
美術大学の卒論のため、初めて訪れる土地で自分という者のいろいろな意味での行き先の不安があった、それ故に、ジュネーブの町中で思いっきり旅行用トランクを、そしてそれがいく方向まかせに旅に出るという理由で投げてみた、逮捕されてでも卒論合格したかったから。だが誰も文句をいう人がいなかったという。

彼は、アートには アクシデントが必要だと考えるから 時には少しの演出もする。例えば2005年フランスのリヨンで、大学院の教室の前にある古代コロシアムに、自分で作った猫の縫いぐるみを置いた。何故なら、一日三回、定時に一人の老女が現われ八匹の猫に餌をやっていたから。そのような人々はどこの世界各都市に存在するためこれは一つの世界共通語というコードでは無いないか思いそれを再認識させるという意味での行動であった、縫いぐるみは、彼がこの老女とコミュニケーションをとるためのおとりだった。そして二日間、隠しカメラで老女の行動を撮影。結果は、老女が杖で、縫いぐるみの猫を突き刺し持って帰ることに… 真悟は、こうした人間の姿、現代社会を 彼の冷静沈着なフィルターを通して捉える。 そして、偶然と必然が重なって 出来上がった場面を通し 「真実の再確認」が成される。 時にはそこに不条理が息づいていて メッセージになる。彼の分野は、「現代アート」(コンテンポラリーアート)だ。真実が、世界の叫びが、絵画や音楽を通さず、ストレートに伝わってくるのは、そこに人工的演技もやらせも加わっていないからだ。
これは身近な所に素材を求めるからこそ大きなメッセージ性をもつという逆説的芸術なのである。今年の2月から3月にかけてリヨンの市立現代アートセンターに展示された作品は横浜のみなとみらいで録音した雑音を、
コンクリートのオブジェとして視覚化したものだった。又、今年の1月のメキシコでユネスコ主催のアートフェスティバルでの出品作もこの雑音によるノイズアートだった。彼は云う「人生において急ぐことは失なうことも多い。」と。彼にはその瞬間存在する土地と時間を、観察し捉える力が備わっている。

彼は云う。ある日彼のいるパリを訪れた父親の言葉「レゾンデートル(存在理由)を考え大切にせよ」がしっかり植えつけられていると。彼の作品には、いつもユーモアとペーソスが漂う。そして表現する不条理も、尖った矢のごとくとは対照的にこちらの心にじわっと伝わってくる。それは、彼の口から今回語られた「対象への感情移入」のせいだと私は思った。これまで、傷つきながら、まっしぐらに進んだ彼を支えてきたのは、友と家族とそして、フランス政府と大学からの奨学金だった。

フランス人は、「何でも最初に行なう勇気をもつ人間」を評価する。彼を、今度は祖国日本が迎え入れ、活動の場を与える時が来た。何故なら21世紀は、芸術なしには生きられない時代だからだ。私は、現代芸術こそ、未来の地球の危機を救う鍵となると思っている。

shingo yoshida シンゴ ヨシダ's Fan Box